オノ・ヨーコ展

小旅行

4月のある日、オノ・ヨーコ展に行った。

タイトルは、『GROWING FREEDOM : The instruction of Yoko Ono / The art of John and Yoko』。

開催期間が去年の10月9日(ジョンの誕生日!)から今年の5月1日までと長かったので、いつでも行けると思っていたら、ギリギリになってしまった。

お金を払って中に入るや飛び込んでくる二人の姿に鼻の奥がツンとする。

写真を撮ってもいいのかな。

唇の下にピアスをつけたバイトらしき係員の女の子に聞いてみたら、「撮ってもいいよ。ダメならあそこら辺にいる人たち(社員っぽい別の係員)がダメって言いにくると思うから」だって。

じゃあ、ダメって言われる前に写真は撮っておこう。

この展覧会は、タイトルの通り「オノ・ヨーコのアート」と「ジョンとヨーコが歩んだ軌跡」という2つのパートで構成されている。

つまりは、オノ・ヨーコの人生そのものだ。

オノ・ヨーコのアート

アートのパートには、来場者が手を加えることで拡大・成長・完成していく作品が多数。

七夕の短冊を思わせる小さな紙に願いを書いて木にくくりつける『WISH TREE』、壊れてバラバラになった陶器を修復する『MEND PIECE』、母親に対する気持ちをポストイットに書いて壁に貼り付ける『MY MOMMY IS BEAUTIFUL』など。

そして、来場者がキャンパスに釘を打ち付ける『PAINTING TO HAMMER A NAIL(釘を打つための絵)』。

あ、これはあのエピソードのあれだ。

1966年にロンドンで開催されたオノ・ヨーコの個展で2人が初めて出会ったときのあれだ。

ジョンがヨーコに「釘を打ってもいいですか」と尋ねると、オープニングの前日だったため、ヨーコは断った。

でもがっかりする彼を見て、「じゃあ、5シリング払えばいいですよ」と提案してみせた。

するとジョンは「想像のお金を払うので、想像の釘を打ってもいいですか」と返してきた。

にっこりと微笑み合い、相手が同じ感覚の持ち主であることを認める、っていう・・・

私が大好きなエピソード。

それからもうひとつ、これも超有名なあの作品。

『CEILING PAINTING / YES(天井の絵 / イエス)』。

ジョンは初めて訪れたヨーコの個展でハシゴにのぼり、天井から吊るされた虫眼鏡で額縁の中を覗き込む。

そこには小さな文字でYESと書かれてあった。

「もしそこにNOとか嫌な言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出ていたよ」とジョンが語る姿は、この展覧会の映像コーナーでも放映されていた。

このエピソードも20代の頃に初めて聞いて、心に残り続けていた。

そして私もそのハシゴにのぼれる日が来るなんて。

私はハシゴにのぼって、虫眼鏡を手にした。

老眼だから、虫眼鏡はなくてもYESの文字は、はっきり見えた。

このほか、ちょっと度肝を抜かれるような映像や、ブレのない思想、知性、強さ、憤り、愛などが次々と展示パネルに繰り出されていく。

あ、これ、ずいぶん昔、日本語で読んだことがある。

他人の悪口を3日間、45日間、3カ月間、言わないでみて。そうすると、あなたの人生に何が起こるかしら。

ジョン・レノンとの軌跡

1969年3月に結婚した2人が、ハネムーンの際にアムステルダムとモントリオールで行った有名な平和プロジェクト『BED-IN FOR PEACE』や、同年の反戦ポスター・キャンペーン『WAR IS OVER (If you want it)』も大きく取り上げられていた。

それから私の目を引いたのが、カナダのジャスティン・トルドー現首相の父親であるピエール・トルドー元首相と1969年に行った面会に際して、ジョンとヨーコが元首相に送った手紙。

これ、本物?直筆サインなのかしら?

説明によると、2人は合計3回カナダに来たことがあり、この面会の時が最後だったそう。

そして、音楽

ここが私にとって個人的にいちばん胸に刺さる部分だ。

私がビートルズを聴き始めたのは、大学3年生の頃。すぐに大ファンになって、あらゆる曲を聴きまくった。

音楽は、それを聴いていた頃の自分と密接につながっているものだけど、この写真の右上のアルバム『IMAGINE』は、私の人生の大転機となった時期に、四六時中聴いていたアルバムだ。

90年代の中頃、つまり20代の中頃に、私は日本を出て、アメリカで暮らし始めた。

不安とストレスで押しつぶされそうだった移住当初、住んでいた田舎町の小さなショッピングモールで、『IMAGINE』のカセットテープを買った。

そしてそれを来る日も来る日もテープが擦り切れるくらい、すがるような思いで聴いていた。

このアルバムの中の “Jealous Guy” や “Oh My Love”、”How”などは、美しくて切なくて、今聴いても本当に引き込まれる。大好きな曲。

ジョン・レノンのアルバムではあるけれど、オノ・ヨーコは作中の至る所で存在感を発揮しているような気がする。

あれから26年以上が過ぎた今も、そのカセットテープは手元にある。

オノ・ヨーコ展からうちに帰ると、あのアルバムがテープで聴きたくなった。

プレーヤーなるものを持っているので、再生ボタンを押してみた。

ああ、しかし!

実にテープは劣化していて、まさに擦り切れていて、全然ちゃんと聴けない状態だった!

テープって、本当に擦り切れるんですね。

このブログを書くにあたって、アルバム『IMAGINE』が発売された年を調べてみた。

すると、1971年9月9日にリリースされていたことがわかり、胸がキュンとする。

9月9日というのは、私が90年代の真ん中辺にアメリカに降り立った、まさにその日だ。

自分の心に忠実に生きること

以前、オノ・ヨーコについて語るポール・マッカートニーの映像を偶然、YouTubeで見た。

今それがどうしても探せないので、うる覚えだけど、

「ヨーコのことはとても冷たい人だと思っていたけど、実際はとても温かい人だった。彼女はただ、自分に対して、とことん正直であろうとしているだけなんだ。他の人たちよりもずっとね」みたいなことを言っていたと思う。

私もなんか、そんなふうに思える。

「自分はただ、自分自身でありたい」

こんな生き方は、強くないとできないのかな。

それとも、力を抜くと、できるのかな。

なぜかオノ・ヨーコさんに惹きつけられてしまうのは、大好きなジョン・レノンの奥さんだからじゃなくて、そのあり方が、私を懐かしい気持ちでいっぱいにしてくれるから。

自分でもこれ以上の説明がつかないのですが。

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