終の住処 〜 国編

頭の中

終の住処とは、人生の最期を迎える時まで生活する住まい。

自宅なのか、病院なのか、高齢者向け施設なのか。

53歳で終の住処を考えるのはまだ早いかな?

そうかもしれないし、そうでもないかもしれません。

いずれにせよ、海外に暮らす私(やおそらく多くの海外在住者)が、「最期を迎える住まい」について考えるとき、まず最初に考えなければならないのが、「どこの国で老後を過ごすのか」ということになるのではないかと思います。

可能性の消滅

結論から言いますと、私の終の住処は、国に限っていえば、カナダです。

約27年前に日本を出た時は、まさかここまで長く外国で暮らすことになるとは思っていませんでした。

2年間のアメリカ留学の後に帰国する予定だったからです。

ところが気づけば人生の半分以上を北米で過ごしています。

この間、ことあるごとに(夫婦ゲンカのたびに)「日本に帰りたい」、「日本で暮らしていればこんな嫌な思いは絶対にしていなかったはず」などと、ぐずぐずぐずぐずぐずぐずぐずぐず思っていました。

このような思考回路は、今となっては黒歴史で、本当に恥ずべき思い癖でしたが、当時は滑稽なほど真剣に自分の決断を後悔していました。

でも、ある時(40歳の頃かな)「いつか日本に・・・」という可能性は、もうすでに消滅してしまっていることに気がつきました。

分水嶺は超えていました。

理由はたくさんありますが、やはり家族です。

本当に信頼できる人のそばに

私の家族は、両親と息子たち。

私が心から信頼できるのは、世界広しと言えども、自分の親と子供ということになります。

つまり、私が老後を迎えて、物事の判断ができなくなるようなことが起こった場合、私に関するあらゆる決断を下してくれと、心から任せられるのが二人の息子です。

やっぱり彼らの近くにいたい。他のどんな場所よりも。

離婚して息子たちを連れて日本に帰っていれば(これを行うには多分莫大な裁判費用と時間がかかったはずです)、日本での老後が可能になったかと思いますが、私は長男が10歳を超えた時点で(私が40代に差し掛かる頃)、10歳という年齢で生活の基盤をガラリと変えさせてしまうことはできないと思いました。

まだあまりよくわかっていないうちならいいけど。

これが分水嶺を超えてしまったということです。

終の住処の選択は、いたい場所ではなくて、誰がそばにいるかというのが何よりも重要な要素ですね。

少なくとも私の場合は。

もちろん、私は日本が大好きです。育った街が大好きです。

でもなんて言うんでしょう。

私が追いかけているのは、私が住んでいた頃の懐かしいあの感じ。

帰国するたびにちょっとした変化に対して戸惑い、違和感を持つようになったのも事実です。

国や街も変わったけど、私も変わりました。

もう同じじゃない。

当たり前ですよね。

だからこそ、言語や文化は熟知していても、思っているのとは少しちがう場所に一人で飛び込むことに腰が引けてしまうのです(特に歳をとってから)。

そして、私にとっての「帰る場所」の象徴である両親がいなくなってしまえば、日本は帰る場所でさえなくなってしまうような気もします。

日本に帰る選択をする人たち

私くらいの年齢の周りの日本人の方々も、老後はカナダにとどまるのか、日本に戻るのか、半々の生活を送るのか、いろいろ考えることになるようです。

人の数だけ異なる状況があり選択がありますし、正解も不正解もありません。

ところで私の母の叔母は、日本でオーストラリア人の男性と出会い、結婚して渡豪しました。

大昔の話です。

子供が二人できましたが、幼い頃に離婚しました。

子供は父親に引き取られ、母の叔母は二人が大人になるまでほとんど会うことはなかったようですが、それについて極端に悲しむということはなかったようです。

離婚後は日本には戻らず、メルボルンで「すき焼きレストラン」を開き、そのビジネスを成功させました。

リタイア後もずっとオーストラリアで暮らしていましたが、最後の最後に日本に戻ってきました。

離婚後もたくさん(?)オーストラリア人の恋人がいたり、友達がいたり、現地でビジネスも成功させたりしましたが、英語はあまり上手ではなかったようです。

それが帰国の理由の一つだと聞いたような気がします。

そして、日本の介護施設で亡くなりました。

本当に人それぞれです。

英語が喋れなくなる?

私はカナダに骨を埋めると現時点では考えていますが、一つだけ懸念があります。

それは、英語が話せなくなる可能性です。

カナダに来たばかりの頃、あるロシア系カナダ人の大学生と話す機会がありました。

彼女は、高齢の祖父母と全く会話ができなくなったと言っていました。

彼女の祖父母は20代か30代の頃、ロシアからカナダに移住して来ました。

つまり、その大学生の女の子は3世で、英語しか話せません。

彼女の祖父母は歳を取るまでは第二言語である英語を流暢に話していたそうですが、ある時を境に英語をきれいさっぱり忘れてしまいました。

全く話せなくなったのです。

話せる言語は第一言語であるロシア語だけ。

そしてこういう話は、実は珍しいことではないようです。

ちょっと怖いな。

カナダに永住すると決めても英語が話せなくなったら。

今いる場所でハッピーにやる

私の50歳の誕生日にロバートさん(仮名)が撮った桜の写真。ハートが隠れています。

どこの国が私の終の住処になるのか、長々と書いてしまいましたが、これは現段階で私が考えていることであり、この先状況や考えが変わる可能性も十分にあります。

結局、私はどこにいても誰といてもいくつになっても、自分がその時いる場所で、その与えられた場所で、ハッピーにやっていきたい。

健康寿命をできるだけ伸ばして、ニコニコ笑って、鼻歌を歌いながら、「どこにいても幸せ!」って言える自分でありたいです。

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