『やがて哀しき外国語』と「やがて哀しき私の日本語」

頭の中

作家の村上春樹さんが90年代に出版された『やがて哀しき外国語』は、春樹さんのアメリカでの生活が綴られたエッセイ集です。

私は90年代の中頃、約2年間アメリカで暮らしていたのですが、渡米前に何度もこの本を読み返したのを覚えています。

大ファンだったし(今も!)、憧れていたアメリカ東部の空気が吸えるような気がして。

懐かしい青春の一冊です。

哀しいを通り越して

さて、このエッセイ集の表題作に「日本語ですらすらと上手く話せない人は、外国語でも上手く話せることはないだろう」という主旨の一節があるのですが、妙に納得して、以来ずっと心に残っています。

確かにそうだと思います。

母国語でさえできないことが、外国語ならひょいひょいできますよ〜なんてこと、普通ありえないですよね。

母国語で本を読むのが嫌いな人が、外国語となると読書家、なんてことはないでしょうし。

で、私と言えば、英会話に関しては、27年も英語圏で暮らしていても全然ネイティブ並みじゃないです。

日常生活や仕事で言いたいことはほぼ何でも英語で言えるようになった今でもネイティブが集団でマシンガントークを繰り広げている中に交ざった場合、ついていけるかというと、話の内容にもよりますが、まあ無理です。

聞き取れたとしても、集団の中の一員としてネイティブの皆さんと対等に渡り合うとか、ありえませんわ〜。

これ、日本語でも苦手だし。

一対一なら大丈夫なんですが・・・

この状態は、これから先どんなに長くカナダで暮らしていても変わらないと思います。

こちらで暮らし始めて、ある時間的一線を超えた時に(いつだったっけ?)、この思いは確信に変わりました。

長い文章をしゃべると文脈があるので逆に通じるんですが、突然一言を発話したりすると今でも「What?」とか聞き返されたりするので、こういう時は「どんなに在住期間を重ねてもこの調子だわな」、と気分はまさに『やがて哀しき外国語』です。

自分の限界には哀しさや虚しさを感じましたが、その後、さらに次の時間的一線を超えた時(これもいつだったか忘れた)、全然哀しくも虚しくもなくなっていることに気がつきました。

だって普段の生活で何も困ってないもの。

店でもレストランでも学校でも役所でも裁判所でも仕事でも電話で携帯プランを交渉するときも、全部大丈夫。

ネイティブ並みじゃなくても意外になんとかなります。

たまに誤解はあるし、頼んでないものが皿に乗っていたりもするけれど、そんなの稀だし、困ったことのうちに入りません。

おまけに完璧じゃないのって、実はものすごくチャーミングなんですよ。うふふ。

要するに個性です。

ただ、困惑は思いもよらないところにありました。

哀しいのはむしろ日本語

移住して、これまたある一定の時間が経過した時、自分が日本にいる日本人と同じ日本語が話せなくなっていることに気づき、衝撃を受けました。

アメリカでもカナダでも、日本人の知り合いがすぐにでき、日常的に日本語を話していたし、何より人生の最初の26年間ずっと話していた母国語が狂ってくるなんて変な話です。

ただですね。

こちらに長く住めば住むほど、日本人同士の会話にある特徴が生まれ始めます。

それは英単語をポンポンと日本語の文に入れて喋ってしまうこと。

例えば、

「明日は2時に歯医者の予約があるんで、子供のお迎えがギリギリだなあ」

っていうのが、

「明日は2時にデンティストのアポイントメントがあるんで、子供のピックアップがギリギリだなあ」

て感じに「自然と」なります。

まさにリアル・ルー大柴の世界です。

カッコつけてるわけでは全然なくて、こうなっちゃうんですよ。

ほとんど一人の例外もなく。

日本人に限らず、どこの国の人でもこんな感じになっちゃうんじゃないかな。

で、これは当地の日本人同士だから全く違和感がないんですが、この調子で日本の友達と喋ったりすると、西洋かぶれの気取ったイタイ人みたいなことになっちゃいます。

だからたまに帰国して友達と喋る時は気が抜けません。

もちろんしばらく日本に滞在してると普通の感じに戻るんですが、緊張しちゃって自然に話せなくなる状態って結構哀しいです。

母国語でさえいともたやすく環境に影響されちゃうものなのですね。

標準語が話せない

ところで、私が渡米してすぐにぶち当たった壁は、英語が上手く話せないことよりも日本語の標準語(東京を中心とする関東の言葉?ドラマで話されてる日本語?)が話せないことでした。

外国で出会った日本人同士が使う日本語は、基本標準語です。

私は地方出身で、26歳の時に日本を出るまで、標準語は使ったことがありませんでした。

まさに盲点。

虚をつかれたような思いでした。

せっかく日本人の知り合いができて日本語で思いっきり話せる機会があっても、渡米後、最初の3カ月くらいは、言いたいことが上手く言えず、恥ずかしさというか虚栄心(?)が優って、いつも言葉を飲み込んでいました。

それでも頑張って標準語を喋ると、自分じゃないみたいで当時はホント、気持ち悪かった。

自分がトレンディードラマ(古い!)の主人公(いや脇役)になったみたいで。

まさか日本語で苦労するなんてね。ストレスでした。

あと、長男がまだ言葉が話せない赤ん坊の頃に、彼に話しかける日本語も今後のことを考えて標準語にしましたが、これも相当な違和感がありました。

方言こそ私の母国語

さて、アメリカでの生活が1年くらい過ぎた頃、私は妹の結婚式のために数日間だけ帰国しました。

成田空港で飛行機を降りて、「久しぶりの日本。早速お店でおやつでも買おう。久々の買い物に感動したりするのかな」なんてウキウキしながらコンビニに入りました。

でも特に感動はありませんでした。

まあ、そうだよね。

アメリカでは日本人としょっちゅう話してるし、まだ日本を出てたったの1年だもんね。

なんてそれでも自分が感動しないことをちょっと意外に思いながら、私は生まれ育った街行きの飛行機に乗るために羽田空港に移動しました。

そして搭乗口付近の椅子にぼけっと座って待っていると、突然、同じ飛行機に乗ろうとしているであろう後ろに座っているカップルの話し声が耳に入りました。

とその瞬間、心臓がドキンと鳴って、鼻の奥がツンとして、涙が出そうになりました。

それはまさしく私が人生の最初の26年間使ってきた方言です。

ああ、私、帰ってきたんだ。

その時初めて帰国した感動に襲われました。

帰る場所で話されてるこの方言こそが、懐かしい私の本当の母国語ということですね。

私は今53歳なので、人生の半分以上を英語と日本語の標準語を使って生きてきたことになりますが、私の言語中枢の根幹には、この大切な方言がびっしりと敷き詰められている感じです。

にもかかわらず、地元に帰ると方言に戻すための調整に少しだけ時間がかかります。

そしてカナダに戻ってくると、標準語に戻すための調整にこれまた少し時間がかかります。

えーと、結局この話の結論って、何でしょう?

私の頭の回転が遅いってことになるんでしょうか!?

いろんなことに時間かかり過ぎ。

でも、海外に暮らす地方出身の人ってみんなこんな感じじゃないのかな?どうなんでしょう?

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