カナダで国際離婚 その1

人生劇場

私は24年前にカナダで国際結婚をして、去年の秋に離婚しました。

というか、離婚が成立しました。

これから何回かに分けて、私が経験した国際離婚について書いてみようと思います。

離婚の数だけそれぞれのストーリーがあると思いますが、ここではドロドロとした感情的なお話ではなく、私が2年間かけて辿った離婚のプロセスにフォーカスするつもりです。

とはいえ、事務的な手続きとそれに伴う私の感情をビシッと切り離すのは容易なことではないと思われますので、もし私が途中でおかしなことを言い始めたら、どうかお許しを!

離婚をふり返るのは、改めて自分のダメっぷりや無能さを思い知らされることになったりして、結構きつい作業です。

でもそういう気持ちからも、そろそろスコンと抜けていきたい。

そんな感じで書いています。

カナダの法律で離婚

国際離婚と言っても、結婚相手が外国人だっただけで、離婚そのものは婚姻関係の解消ですから、日本人同士の離婚と変わらないのではないかと思います。

ただ、外国で外国人と結婚し離婚する場合は、その国の法律に従わなくてはなりません。

私は当初、この謎だらけの法律を前に、今にして思えば滑稽なくらい混乱していました。

じゃあ、カナダの法律に従って離婚するって何なんだ?ということですが、離婚を進めるにあたり、私にとって最大の衝撃だったのは、離婚は最高裁判所に申請し、最高裁が認めなければどうやっても離婚できないということでした。

当事者があらゆることに合意した協議離婚であっても、です。

2人が離婚届に署名して、ハンコを押して、役所に出して、即日カタがつきました!とか、まるで夢物語のようです。

私が住んでいるブリティッシュ・コロンビア州では、離婚を申請した後、最高裁からオッケーが出るまで3カ月くらいかかるということでした。

で、仮に3カ月で離婚を認める判決が下ったとします。

でも、この時点ではまだ離婚は成立していません。離婚の成立は、判決の日から31日後ということになります。(なんで31日なんでしょうね?)

また、離婚を申請する前には、最低1年間の別居が要されます。

なんだか、とても時間のかかるプロセスです。

そして、未成年の子供がいる場合は、事細かい取り決めの全てが最高裁を納得させるものである必要があります。

これが、私の住んでいる州における離婚プロセスの、ざっくりとした概要です。

家庭内別居

さて、もうはっきりとは覚えていませんが、いつの頃からか、私と元夫はほとんど口をきかなくなり、シェアハウスに暮らすルームメイトのような関係になっていました。

日常生活におけるそれぞれの役割分担ははっきりしていたので、その与えられた役割を惰性でこなしているという感じでした。

完全なる家庭内別居、愛は完全に冷めきっていました。

では、なぜすぐに別れなかったかというと、理由は子供、お金、面倒臭い、この三つ。

とてもシンプルです。

そして、この話のいちばん悲しいところは、私はこの状況について、全く悲しいと思っていなかったという点です。

私には2人の息子との日常があり、仕事があり、割と充実した忙しい毎日を送っていました。

また、口をきかなくなってからは、口をきいていた頃のようにごちゃごちゃ言われなくなったので、むしろ心に落ち着きを取り戻した感じでした。

でも、これがいつまでも続くとは思わなかったし、いつかは別れるだろうという予感というか、確信はありました。

そして、その「いつか」は思ったより早く訪れました。

少なくとも次男が高校を卒業するまでは、ずるずるとこんな感じでいくのだろうと思っていたのですが。

離婚となると、ほぼ間違いなく養育費は期待できず(一緒に住んでいてもほとんど期待できないのだから尚更)、私1人で息子2人を大学まで行かせる自信はありませんでした。

ですが、短期間にいくつかの予期せぬ出来事が重なって、そのひとつがあまりにもホラー的に常軌を逸した大事件だったので、いくら何でもこんな状況に自分を置くことを許してはいけないと、心の底から思ったわけです。

ここの部分はキモなんですが、すみません、はしょります。

私はその時、家を出て、本当の別居をすることを、固く固く決意しました。

2019年2月のことです。

この決意を境に、不安だったお金のことも、何とかなるだろうというふうに、自然と思えるようになりました。

そう思ったら、なぜか私の収入が増え始めたのだから、ホント不思議です。

このとき、長男は大学生で、次男は高校生でした。

本当の別居

とりあえず、その年の息子たちの夏休みに家を出ることにしました。

実際に引っ越したのは7月の終わりです。

元夫とは離婚することで合意して、引っ越し先を探していることも伝えてありました。

しかし、自分が家長となって家を借りることには、一抹の不安がありました。

そもそもシングルマザーっぽい私に家を貸してくれる人がいるのかという・・・

でも、大丈夫でした。

家は2軒目に見に行ったところがとても気に入り、そこにしたわけですが、大家さんも借り手は私にすると即決してくれました。

「日本人に貸して、トラブルになったことはないから」だって。ラッキー!

「仕事してて収入があるなら、何の問題もないよ」。

ああ、そうなんだ。クレジットチェックも保証人チェックもしないのね。

場所は前の家から5分のところです。

引っ越しは、息子たちの友達が10人以上集まって、全てやってくれました。

本当にありがたいです。

あの日、すべての荷物を運び入れて、まだ片付いていない部屋で一息ついたときに、ものすごい喜びが湧き上がってきたのを今でも覚えています。

自分の場所が得られたこと、その場所をとても気に入っていること、家賃を払う経済力が(おそらく)自分にあること、息子たちがとてもしっかりしていること、彼らが素晴らしい友達に恵まれていること、何より完全な自由を手にいれた感覚があること・・・

全部、最高じゃん!

私くらい幸せな人間はいないんじゃないかしら、と本気で思いました(笑)。

そして、その後すぐ、離婚申請に向けて、元夫が本格的に書類の準備を始めました。(続く

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